西陣きもの会

西陣きもの(御召機)の歴史

 京都の織物の歴史は古く、西陣という言葉が生まれる遥か以前の5、6世紀に発生したといわれています。応仁の乱の後、西軍の本陣であった大宮今出川付近で織物業が盛んになり、それらの織物を『西陣織』と呼ぶようになります。この頃に大陸伝来の高機(たかはた)という技術を取り入れ、先染めの糸を使って色や柄を織り出す紋織(もんおり)が可能になり、現在に至る先染めの織物の基礎が確立されます。京都という場所柄もあり朝廷や幕府からの保護の元、『生産者が使用するきもの』ではなく、『献上品、品物としてのきもの』が生産されてきました。その歴史の中、西陣の織屋は海外からの技術、意匠の取り入れにも積極的で、精進を重ね、世界有数の絹織物の産地として日本の織物を牽引してきたともいえます。

 西陣きものは古くは殿上人のみ着用を許されたこともあり、近代になり一般の手に入る時代になってからも高級品であったため、特に『御召』と呼ばれました。やがて『御召』という言葉も一般的な言葉となり、『高級絹織物』の総称としても使われるようになりますが、同時に『御召』と言う名の粗悪品も市場に出回り、やがて『御召』は廃れてしまいました。『西陣きもの会』では本来の意味通りの『御召』や『御召機』といった言葉、その織物郡をもう一度見直してもらいたいと考え、会員たちも古人に劣らない『御召』、その言葉に恥じない織物作りに励んでいます。

西陣きもの(御召機)の歴史

 京都の織物の歴史は古く、西陣という言葉が生まれる遥か以前の5、6世紀に発生したといわれています。応仁の乱の後、西軍の本陣であった大宮今出川付近で織物業が盛んになり、それらの織物を『西陣織』と呼ぶようになります。この頃に大陸伝来の高機(たかはた)という技術を取り入れ、先染めの糸を使って色や柄を織り出す紋織(もんおり)が可能になり、現在に至る先染めの織物の基礎が確立されます。京都という場所柄もあり朝廷や幕府からの保護の元、『生産者が使用するきもの』ではなく、『献上品、品物としてのきもの』が生産されてきました。その歴史の中、西陣の織屋は海外からの技術、意匠の取り入れにも積極的で、精進を重ね、世界有数の絹織物の産地として日本の織物を牽引してきたともいえます。

 西陣きものは古くは殿上人のみ着用を許されたこともあり、近代になり一般の手に入る時代になってからも高級品であったため、特に『御召』と呼ばれました。やがて『御召』という言葉も一般的な言葉となり、『高級絹織物』の総称としても使われるようになりますが、同時に『御召』と言う名の粗悪品も市場に出回り、やがて『御召』は廃れてしまいました。『西陣きもの会』では本来の意味通りの『御召』や『御召機』といった言葉、その織物郡をもう一度見直してもらいたいと考え、会員たちも古人に劣らない『御召』、その言葉に恥じない織物作りに励んでいます。

▲PAGE TOP